いつものことと言えばいつものことだが、結城由羅藩王の執務室で不機嫌な女が一人。 半分泣きそうな顔でソファに座り込んでいる。 これで、宿直のいい男を愛でながら夜食を・・・・・・という訳にはいかなくなった。 眼前には酒とつまみが沢山持ち込まれている。彼女が自棄酒用に持ち込んだものなのだが、明らかに酒より多い。 自棄食いならぬ自棄料理をする性質なのである。 塩分を採りすぎたらまた摂政以下に怒られる気もするが、厨房まで行かなくても夜食は手に入ったし、何よりこの子を一人にするわけにもいかない。 「それで、別に失敗したわけじゃないんでしょう?」 もぐもぐ、と適当に果物の乗ったチーズを食べつつ、結城由羅女王は尋ねた。こくん、と環月怜夜が頷く。 「でも、ネガティブって言われたんですよ!」 「ネガティブじゃん、君」 落ち込んでいた彼女が更に落ち込む。 「そ、それなりに前向きに生きてるのに・・・・・」 彼女は運が無い。というか、運にムラがある。共和国の宝くじはよく当てたのだが、何も無い道で転んだり、遠くから飛んできたバレーボールが頭に直撃したりしている。 「前向きにネガティブだよね」 よしよし、と頭を撫でて環月怜夜の隣に腰掛ける。そのまま片手を頭から肩へ移動させ、軽く引き寄せた。 びくん、と環月怜夜が震え、ソファから慌てて身を動かして結城由羅藩王から身を離して・・・・・・・そのままソファの端から落っこちた。 がらん、ドン、ベキ、と音がする。 「大丈夫?まったくおこちゃまなんだから・・・・・」 差し出された手を振り払って環月怜夜が立ち上がり、眉を顰める。 「あ”−−−。ヒールが折れた!」 「慣れないもの履くからねぅ」 「違うもん!今転んだからだもん!」 「ドジねぅ」 う、と短く息を詰まらせて、環月怜夜は口を噤んだ。 ぐびぐび、と近くにあった甘ったるいミルクのカクテルを自棄酒・・・・・・しているのだろう、本人としては。 「(こういう時は焼酎かワインが絵になるんだけど)」 顔立ちや仕草の幼さも相俟って、マグカップを抱えている子供にしか見えない。荷物が多かったので、取っ手が付いていて持ちやすいという理由でマグカップを持ってきたのだ。 「わたしって・・・・」 マグカップをじっと見つめて・・・・・・おもむろに顔を上げる。 「天然でツンデレで負けず嫌いでドジで鈍感って・・・・・・ギャルゲーの中でしか私の生きる道は無いの?!」 「天然ラブコメ要員?」 しくしくしくしく、とついに泣き出した環月怜夜。 「私としてわぁ、主人公のクラスメートでぇ、地味ながら自分の道を見つけていくぅ、恋愛タイムキーパー的ポジションがいいのですが・・・・・・・」 机の木目を指先で左右になぞりながら、呟く。 「どじっぷりが主人公クラス」 今度は泣き出す間もなく机に突っ伏した。 「やっぱり、力づくしかない、か」 きっかり15秒ほど落ち込んで、突然むくりと起き上がった。 きょとん、と目を丸くする結城由羅藩王。口はしっかりと動いているが。 「黒は力づくで手に入れるしか無いそうなので」 「ああ 源」 ぽん、と手を打つ。 あやのさんという女性が、源と最近親密なったという話を指しているらしい。 なんでも、力づくに近い状態で頑張ったという噂だ。 「力づくしかないんですね、きっと」 「押し倒せ」 「やってみます!」 と、ここでふと環月怜夜は顔を上げた。 「女の力づくって何なんでしょう?」 「さあ」 色香、と言いかけて結城由羅藩王は口を噤む。無いものを要求するのは痛々しい。 「ああ、あやのさんは上手。いい感じで転んだり」 人づての話を思い出しながら、続ける。 「具合悪そうにしたり」 「転ぶことや具合が悪いことは日常なんですけど」 うーん、と小首を傾げる環月怜夜。 「見事だった」 腕を組み、うんうん、と大仰に頷く結城由羅藩王。 「何もないところであそこまで素晴らしい転げ方をするとは」 ビシ、と指を立て、言い放つ。 「神」 少し静けさが響き・・・・ 「あやのさん?私?」 「君」 きょとんとしている環月怜夜の肩をぽん、と叩く。 「転んでる方は受身を取ろうと一生懸命だけど、観客にはショーなんですね・・・・・」 再び涙ぐむ環月怜夜。 「一生懸命さが・・・・・怯える小動物のような風情がそそりました」 しくしく・・・・・とまた泣き声が部屋に響き渡った。 「いっそ、こう・・・・・・・子供ゆえの力づくを」 結城由羅藩王があらかた夜食を食べ終わった頃、漸く環月怜夜は言葉を発した。 「そういう時は、大人の魅力ねう」 あでやかに細い腕を伸ばし、しなやかな指先で頬を撫で上げる。猫らしく優雅な仕草で、妖艶に微笑んだ。 「こうやって」 んー、と顔を寄せる藩王を押しのけて・・・・・再び環月怜夜はソファから転げ落ちた。 「あー左のヒールも!!」 「・・・・・・・・ぷ」 「笑わないでー」 ぶつぶつ言いながら、折れたヒールを一生懸命修復している。 「ま、それはともかく。自分からもキスくらいしてあげないと」 「でかいもん」 涙目で睨みあげる環月怜夜。 「引っ張ればいいねう」 「髪の毛?」 「髪の毛は痛そうな・・・」 「耳を掴んで引っ張る?」 「耳もなぁ」 「ほっぺた!」 「つねってどうする」 「手が届かないもん」 「手ぐらい届くと思うけど」 ふう、とため息をつく。 「照れがあってだめねう。後は首筋とかあまがみしたり・・・首に腕を回して、あごを上げて目を閉じれば」 「首を絞めて、あごを上げて目を閉じる」 「絞めるな」 「むーーーー」 いそいそ、とメモをとりながら、目で続きを促す。根負けしたように藩王は口を開いた。 「お膝に乗れば絡めやすいと思うけど。お膝に乗って首に顔を埋めて首筋にちゅう」 「お膝に乗ると絞めやすい、と」 復唱しながらきつねさんのメモ帳にメモをとっている。 「だから絞めるな!・・・・・・・絡めるのと絞めるの全然違う」 「あ、からめる」 「…(頭痛)」 「えーと、治療治療」 言いつつ、救急箱ならぬ整備用の道具箱を漁りだした。どうやら酔っているらしいが、言動がアレなのは酒の所為なのか性格の所為なのか。 「肩付近をあまがみするのも楽しいねう。かじかじ」 生真面目に環月怜夜は一言一句メモを続けている。 「がぶがぶ」 「痛くしちゃだめー」 「・・・・・・・」 「甘く歯をちょっとたてるくらいで」 「せんせー、しつもん。痛いことが気持ちいいんじゃないんですか?甘噛みって」 「・・・・・・・・・・・」 中学生の頃でもこんな質問をしなかった気がするのだが、彼女は本気で聞いているから性質が悪い。 「力いっぱいしたら痛いだけねう。SMじゃないんだから」 「じゃあ、なんで恋人同士は歯形をつけるんですか?」 「感極まると、力加減できなくなるねう・・・・・痛くするのが目的じゃないねう」 へー、と嬉しそうにメモを取る。 「大人になったら、痛覚が変わるものだと思ってました」 「どんな大人だそれはー!」 国中そんな大人ばっかりだったら、気持ち悪い。 ―――30分後――― 「・・・・・・・それで、たまには冷たく振舞って………」 「うんうん」 「落ち込んだ所に甘えて・・・・」 「ふむふむ」 さきほどからせっせとメモを取り続ける環月怜夜。メモ帳がびっしりと埋まっている。 「・・・・・・カレーライスにはマヨネーズ」 「はいは・・・・・・・・・あ”−−−−」 こうして、定期的に悲鳴が上がりながらも、執務室の夜は更けていくのであった。