…うす暗い洞窟の中、ふわりと光が舞い降りた。 光は徐々に人の形を取り、やがて具現する。暗闇を支配しているのは聴覚と、なにより心に突き刺さる痛いほどの静寂。 桂林怜夜は『そこ』にシフトしてきた。 …一人きりで、ここにあの人がいる。 …一人きりで、ここにロイがいるかのと、怜夜は考えた。 「(う…猫忍者を着てくればよかった)」 何故か小さく後悔しながら、怜夜は目を閉じて、感覚を耳に集中させる。暗闇に慣れるためと、音を聞くために。 と…彼方で笑う声がきこえた。 これはいつものことだ。 一度頭を振って笑い声を振り払い、声のする方へと怜夜は歩き出した。 何一つ手がかりのない中で、今はただ一つの道標だ。 「また笑われてる…今度は私、何をしたの?!」 迷子になることを予見されて笑われたのかと、思わず怜夜は呟いた。 それがもしも捜し人の声なら、現在迷子の相手に笑われたことになる。 でも… 迷子なら、もう誰も笑わないよな… 「ふふ…」 小さく漏れる自虐の笑み。そうして漫然と歩いていると、目の前に巨大な穴が現れた。 …広い。 …戦った痕にも見える。 「結構大きな敵?それとも、火力が大きかったのかな…」 ぽつり、呟きが漏れる。 「ロイさん、大丈夫かな…」 続いて、目の前で消えてしまった彼の名が零れた。 ここまできたのは彼のため。 時間も空間も、運命すらも捻じ曲げて、それでも彼を助けたい。 立ち止まっている時間はなかった。 周囲を見渡してから、穴を覗き込み深さを確かめる。底が見えないくらい深い。 適当なガレキの欠片を一つ穴に落としてみると、大分たってから甲高い音がした。200mはあるだろうか? 「こわい…じゃなくて深い…」 もう一度、耳を澄ます。 「この奥から笑い声は聞こえてこないと思うんだけど…」 周囲を調べ下へ降りれそうな階段や通路を探してみるが、見あたらない。 ただ、道に穴があいただけのようだ。 …さて困った。 思案しながら、怜夜は穴の奥に向かって叫んでみる。 「すいませーん。どなたかいらっしゃいませんかー?」 かあぁー…かあぁー…かあぁー… 返ってくるのは、残響だけ。返事はない。 「…………」 …覚悟を決める。 道がないのなら…道を作るのみ。穴の壁を伝ってでも、降りて下を目指すのみ。 決意を固めて怜夜が一歩踏みだそうとした 次の瞬間。 こけっ!! 「へ!?」 普段からなにもないところでも転ぶのだ。こんな岩だらけのところで、しかも薄暗い洞窟で… 怜夜が転ばないはずがない。 「えええええっ!?」 怜夜は真っ逆さまに穴の中へ落っこちた。 同時に聞こえた、笑い声は、嘘ではない…… ユラは突如現れ、銃を構えたロイを前に混乱していた。 心中では叫びたかったのだろう。 だが、今は戦いの最中。叫びすらも封じ込める。 背後で「すいませーん。どなたかいらっしゃいませんかー?」 という声もきこえたが、そんなことを尋ねられて答る暇も構っている暇はない。 「あなたは誰!撃たないで!!」 突如現れた銃使いの前に立ち塞がり、傷ついた日向を背に庇う。 (何か空耳が…いえそれどころじゃ…) 「くるぞ!」 金の髪の青年が…ロイが叫ぶ。同時に狼の姿の日向も、吼えた。 「え、何が?」 ロイの視線の先にあるのは、異形の者。ばけものだ。 狼が傷ついた体で異形の者に飛びかかる。すでに足は一本、使いものにならない。その日向を援護するように、ロイも手にした銃のトリガーを引いた。ユラもよくわからないままに、援護のための呪文詠唱を開始する。 そこに。 「ひぅぁあああッ!?」 怜夜が、いきなり、落ちてきた。 錯乱しながらも考える。岩盤まで、3、2、1… 『0!!』 最善の策であろう受身をとるが、岩に叩きつけられる衝撃はこない。 「…!!」 …岩の代わりに、柔らかい腕が怜夜を受け止めていた。 ロイだ。 同時にユラの放った火焔が異形の者に放たれた。周囲が紅く照らし出される。 「ご、ごめんなさい!足手まといになって」 すぐさま身を離す。 (だれ???) ユラにしてみれば今日二人目の乱入者だ。一瞬気を取られるものの、すぐに視線を戻して異形を見据えた。 今は戦いの最中。 気を抜けば、自分も、自分の大切な者も未来を奪われるのだ。 ユラが視線を戻したと同時に異形の瞳がロイを捕らえ、直後に攻撃が来る。 「…ロイ!!」 一つ呼んで、庇う。だがそれより早くロイが怜夜を抱きかかえて床を転がっていた。 その隙に日向が異形に噛み付く。 「ごめんなさい!」 悲鳴に近い叫びをあげて怜夜がロイのそばを飛びす去った。 離れなければ、ロイの足手まといになる。 「いいえ!」 そう答えられても、怜夜には苦さが残る。 二人を横目にユラが異形に牙をたてる日向を避けつつ再び火焔で援護しているのが見えた。 ロイは少し考えた後で、飛んだ。 「せめて足止めできれば…って何この化け物」 ユラが苦々しく呟く。 「随分上等にそだったな…」 「話せば長いことなんですけど、私の世界で色々あって…」 しかし今はそれを語る時間はない。 「絶技は」 唸るように日向が尋ね 「使わない……」 攻撃を避けつつロイが答えた。 「一撃を打つチャンスが欲しい」 銃を構え、ロイはちらりとユラを見やる。 「じゃあ、おっきいのをいっぱつかませますね」 敵ではないと感じたのだろう。ユラは素直に答えた。巨大な火炎を頭上に掲げ、練り上げながら彼女はそのトキを待つ。 「いきまーす!ていやー」 充分に煉られた紅炎が放たれ、ロイが自らその炎に突っ込んだ。 「任せましたー」 ユラが絶技を使いすぎ、ばたりと倒れた。 怜夜はただ無事を祈り、岩陰からじっと戦況を見守る。 否、見守ることしかできないのだ。 この場で戦える術を持たない自分ができることは祈ることだけ… それでも、少しでも、彼を護る盾となりたい。 放たれた炎を盾にして、己が身を焼きながらロイは手にした聖銃を撃つ。 銃声が響いた刹那、異形の者は音もなく崩れさった。 「ロイ!!」 異形の消滅を確かめるより先に怜夜はロイに駆け寄った。 「燃えないで…ッ!!」 同時に心で叫ぶ。 『もう消えないで』 と。 怜夜は上着を掛けて無我夢中でロイの炎を消し留める。 そんな最中(さなか)、ロイは笑っていた。倒れて天を仰ぎ、豪快に笑っていた。 日向も笑っている。 が、不意にばたりと日向が倒れ、その足場が崩れた。 傍らにいたカヲリが手を伸ばして、日向と一緒に落ちていく。 「…日向、怪我は大丈夫?」 ユラが視線を移した先にはもう誰もいない。 「火傷って怖いんですからー!」 ロイのケガの具合を確かめる怜夜も、落ちゆく二人目撃した。 「あ…カヲリさん、日向さん…」 「ありゃー」 ユラは身を引きずりながら二人が落ちた穴を覗き込んで… 「降りたいけど、今は無理…」 小さく呟きぱたりと倒れた。 「あー!カヲリさんが!!えーと、皆さん?」 そこで初めて、周りを見渡す余裕ができた。火傷を負ったロイ、絶技消耗を回復するために死んだように丸くなっているユラ…今満足に動けるのが自分だけで、自分にはこの状況を打破する技術がある。 「……!!」 怜夜は全力で全員の治療を開始した。 やがて、治療が功を奏したのか、ロイがむくりと起き上がる。 よかった…心から思う。 今度は消えない。動いている。 …生きている。 「…ありがとうございます」 小さく、ロイが告げた。 「こちらこそ…生きていてくれて…ありがとうございます…本当によかった…」 しがみついて泣こうとして、やっぱり遠慮して、怜夜は俯いた。そんな怜夜をロイが抱き寄せる。 一瞬身を堅くした怜夜にロイは微笑み、手を離した。 「次の戦いへ。急がなければ」 「次、ですか?どちらへ?」 無意識に彼の手を握り締めて、怜夜は尋ねた。 「次の世界へ。コウが危ない」 「第6世界、ですか…あの、また一人で行ってしまうんですか?」 「…危険ですので」 ふい、とロイが見上げる怜夜から視線を逸らした。 「連れていっては貰えないでしょうか…?あの今は役立たずでも…これからもっと強くなります!」 「弱点を連れて行く戦士がいると思いますか?」 逸らした視線を、今度は真正面からぶつける。 「その時は見捨ててください!手が届かない世界で待つよりは、何かできることを探したいんです…!」 叫ぶように告げて、怜夜はすがるようにロイを抱きしめた。 「見捨てられないから、言ってるんでしょう…」 嘆息とともに吐き出しながら、それでもロイは怜夜を受け止めた。思案しながらも何故か彼の口の端には笑みが滲む。 「お願いします!目の前で何も出来なくて消えてしまった後、どれだけ辛かったか…もう一回味わうくらいなら、死んだ方がマシです」 ロイは再び息を吐き、次いで柔らかな笑みを浮かべた。 「貴方が理由で、僕は死ぬんでしょうね。わかりました」 それは、怜夜が久方ぶりに見た、彼の笑顔だった。 「それはもっと嫌です!長生きしてもらうんですから!」 怜夜、小さく心でガッツポーズ。 「ありがとうございます!一生お側から離れません♪」 …そうして二人は共に歩きだした。 怜夜は置いていかれないよう、なにより迷子にならないよう、しっかりとロイのシャツを掴んでいる。 「…シャツが伸びます」 「ご、ごめんなさい!」 慌てて手首を掴み直すその仕草にロイが声を立てて笑った。怜夜もこちなく笑い返す。 「大丈夫ですか?怪我も火傷も…それに、聖銃まで使って…」 怜夜が不安そうに頭一つ高いところにあるロイの横顔を見上げた。 「怪我には慣れてますから」 「慣れていたって、痛いものは痛いですし、小さな怪我から重病になるんですから…」 肩先や背中の怪我に、具合を確かめるように軽く触れた。 「痛みは薬で殺してます」 「やっぱり治っていないんじゃないですか!」 「ええ。治ってません」 余りに軽い答えに思わず怜夜は叫んでいた。同時に自責の念もこみ上げる。 「ごめんなさい…もっと能力があれば…せめて名医だったら、治せるのに」 「いりませんよ」 「そうですか?」 「名医なら、患者を動かせたりはしません」 ロイは微笑むと立ち止まった。 二人の目の前に大きな深淵。見渡せばあちこちに穴があり、吸い込まれてしまいそうな錯覚に陥る。 (そういえば、さっき迷子を笑っていた人は誰だったんだろう…) 「さて、飛び降りますが…あなたはどうしますか?」 思考の半ばで尋ねられて、だが即答する。 「当然、ついていきます!」 強く手を握り直すとロイは微笑んで怜夜を抱き寄せ、飛んだ。 …穴の中を、暗闇の淵を二人は落ちていた。 怜夜は気を失わないように、離れないようにロイにしがみつく。 「これが、世界移動…」 周囲を見渡せば、世界が七色だ。ロイはふっと小さく笑った。 「あ、綺麗…確か、レンジャの蝶子藩王が見たっていう光景…ロイさんの心の風景なんですか?」 「そうかもしれません」 「綺麗で不思議な心なんですね。シャボン玉の中にいるみたい」 キョロキョロと周囲を見渡す怜夜に微笑んで、ロイは落ち行く先に視線を向けた。 「…長く掛かります」 「普段は、移動中は何をなさっているんですか?」 「誰もいないので、歌を歌っています」 言ってから少しだけ頬が赤らんだ。 「聞かせて頂けませんか?是非聞いてみたいんです」 「ダメですよ。シン兄だってきいていない」 「けち」 怜夜はむくれ、ロイは微笑む。 そのまま、ロイの視線は再び深淵へと向けられた。 「…助けてくれてありがとう」 ぽつりと、ロイが呟いた。 「いえ、本当に私は何もできなくて…それに、こちらこそ、助けてくださってありがとうございます」 答えてから、怜夜は俯いた。 「勝手に押しかけて、ついてきて…迷惑ですよね…」 「拗ねたりいじけたり」 くるくると変わる表情を楽しむかのように視線を怜夜に戻すと、ロイは幾度目かの微笑を浮かべた。 「迷子にもなってますし…」 なんだか子供扱いをされた気がして、思わずふくれる。 「頭を撫でたいところです」 くつくつと、声まであげて笑われて、ますます怜夜は頬を膨らませた。 「子供じゃないですっ。それくらいで満足しませんもん」 「じゃあ、どんなことなら?」 「べ、別に…」 ロイは相変わらず笑っている。久方ぶりにみた明るい表情。いまにも鼻歌あたりが零れてきそうだ。怜夜は悔しくて、ふくれっ面を見られないようにロイの胸に顔を埋めた。 「元気でいてくれたら、それ以上のことは望まないのに…」 抱きしめてくれている、生きている温もりが嬉しくて涙が滲んだ。 「眠っていてもいいですよ」 しばらくそうした後、怜夜の髪を梳りながらロイが囁いた。 「…置いていかない?」 「連れてきています」 今までにないはっきりした返答に、怜夜は思わず微笑んだ。 「…はい!」 安堵と温もりと。微かに伝わる鼓動が子守歌のように怜夜を包んでいた。やがて、瞼がとろりと落ちてくる。 夢と現の狭間でロイが歌っている。 知らない歌だ…だが、覚えておこうと心に留めた。例え目が覚めて覚えていなくても、この優しい声の感覚が体に残っていれればそれでいい。 …二人は、深淵を落ちていく。 強く抱き締めた体と温もりと・・・未来と、命と。 すべてを護ると誓って、怜夜は腕に力を込めた。 もう二度と、失わないために。 戻る時はこちら。 http://margarita.sakura.ne.jp/ogasawara/ogasawaraindex.html